Research of manpower supply business field.

他に類のない派遣業界幹部向けの会員制メールマガジンを発行し始めて4年になります。派遣業界に 関する話題を斬新独特の切り口で取り上げ、多くの派遣会社管理職の皆様に愛読いただいております。そのバックナンバーの一部を御覧下さい。

東田康之

テンプスタッフ篠原社長 来し方を語る

テンプスタッフ篠原欣子社長が20年ぶりに著書を出版しました。書名は

『探そう、仕事の、歓びを。』あさ出版 2007年5月24日初版
                        1365円
  (3年前出版の『逃げない人を、人は助ける』はライター取材本)   

大手独立系の創業社長の著書としては他にパソナ南部靖之氏になるものがあります(12冊!)。そちらは南部氏らしいメッセージ性の強い内容ですが(exa『人財開国』)、こちらは題名こそ『若い皆さん、頑張りましょうよ!』的な生き方指南本っぽいですが、また事実、『みなさんだって、必ず、仕事の歓びを見つけられます。どうか自信を持ってください。』と人生の応援歌的な章もありますが(第1章)、それ以外の2-5章は篠原氏の自伝(幼年時~青春~OL~海外留学~創業~逆境~成長~ピンチ~)で、特にテンプスタッフ創業以降が具体的エピソードをふんだんに交えて描写されています。これが実に面白いのです。


何と言っても昭和48年(1973)に六本木の地に38歳で創業です! それまではOLと海外留学経験とオーストラリアでの海外企業勤務経験です。ちなみにパソナ南部社長は昭和51年(1976)に24歳で、スタッフサービス岡野社長は昭和56年(1981)に30歳での創業ですから、派遣会社創業年齢としては非常に遅いスタートです。
しかしこの
 1.女性で
 2.38歳と遅い年齢で創業
 3.事務職経験しかない
という南部、岡野氏にない特徴がテンプスタッフの社風を形成し、成長の源になったのですから世の中面白い。

一般に現役創業者の自伝というものは苦労自慢か「お前は何様?」に近い自信満々自己陶酔もの(exaホリエモン「稼ぐが勝ち ゼロから100億、ボクのやりかた」)が相場ですが、この本は違います。一種の成長小説(ビルドゥングスロマン)と読むことが可能です。「人間苦難に突き当たりながら成長していけるもんだなあ」と、素直に思います。
(この方のお母さんがすごくいい!)

また、一家を成した現役時代の創業者というものはみんな強烈な個性と一種の狂気をお持ちですが、どうもこの方にはそれが感じられない。近くの社員はそうでないかもしれませんが、少なくとも外から見る限り、アクや個性は感じません。「世間どこにもいる物静かな叔母さん」という印象です。とても年商2300億の創業社長のイメージではない。財界では異色のキャラの創業社長です。

さて、今回テーマの目的は彼女の一代記を御紹介したいのではなく、この本で人材派遣業界の創成期と勃興期を知り、、並びに派遣会社を立ち上げて直面する諸問題に彼女が全身全霊どう対処してきたかを疑似体験することで我々の業界の存在価値を改めて確かめてみたい、という意図です。

いくつか引用します。(無断です。あさ出版さんごめんなさい)


『正直に言ってしまえば、私自身、これまで壮大な夢を描いた
ことなど、一度もない。たとえば「会社を大きくしてやろう」
「社長として成功して莫大な財産を築こう」なんて思ったことは
ありません。その代わり、目の前のことには、いつだって夢中で
ぶつかってきました。これだけは自信を持っていえます。
会社の売上が100億円規模になるまで、テンプスタッフには
支店ごとの売上目標もありませんでした。ましてや個人のノルマ
なんてありません。かといって仕事に対して厳しくなかったわけ
じゃない。私たちが目指したのは「お客さまに信頼される会社に
なろう。派遣スタッフに頼られる存在になろう。」ということ。

そんな会社になるためにはどうすればいいかを、みんなで必死
に考えて、身近なところから改善していったのです。もちろん
今では、会社全体のビジョンを明確にし、部署や支店、個人も
数値目標を定めています。これは一定の基礎ができたから有効
なんです。逆に土台が全然できていないのに、5年後、10年後
の目標を立ててみても仕方がないでしょう。』


ロンドン留学時代(著者33歳)
『授業についていくだけでも必死なのに、孤独と貧乏にさいなまれる。
そんなときに友人から1通のハガキをもらいました。登山に行った
ときに頂上の木に刻んであった詩を書き留めて、私に送ってくれたのです。

友よ みだりに人を羨むな
友よ みだりに嘆き給うな
人と生まれ 人と生きる
それぞれの道にそれぞれの苦しみ
それぞれの道にそれぞれの悲しみ
だが友よ しかしみんな歩いてきた道
君ひとりだけ嘆き給うな

この詩が、どれだけ心の支えになったかわかりません。
何度も何度も読み返したので、今でもスラスラと暗唱できます。
会社を始めてからも、辛いことがあるたびに口ずさみました。 』


シドニー勤務時代(37歳)
『シドニーではさまざまなカルチャーショックを受けましたが、派遣社員
の存在もその一つでした。ある時、同僚の秘書が休暇を取ることになりま
した。私はいつもどおりに出勤していたのですが、彼女のデスクに知らな
い人が座っているのです。しかも、何ひとつ教えられていないのに、与え
られた仕事をてきぱきとこなしている。私は思わず、同僚に尋ねました。
「あの人、いったい誰なの?」
「テンポラリー・スタッフよ」
「どこから来るの?」
「専門的な人材をプールしておいて、一定期間だけ派遣する企業があるの」
以前、あるホームパーティで派遣スタッフの人と話したことはありましたが、
仕事ぶりを間近で見るのは初めての体験。そのスマートさ、技能の高さに
驚きました。秘書が休暇を終えてオフィスに戻ってくると、派遣されたスタ
ッフはどこへともなく姿を消す。
「なんて便利な仕組みなんだろう」そのときは素直に感心したんです。


開業(1973年38歳)
『人材派遣を利用するのは、本国で実際に派遣スタッフを利用した経験の
ある外資系企業だろうと直感的に思っていました。事務所(六本木)の周
りに、外資系企業が集中していることを、これ幸いと、一人でひょこひょこ
と受付に行って、チラシを渡そうとしたわけです。名だたる大企業を訪ね
たのですから、今から考えれば、まさに”怖いもの知らず”です。でも当時
は「飛び込み営業」という言葉を知りません。それどころか自分がやってい
ることが営業とさえ思っていない。14年間のOL生活では事務や秘書業務し
か経験していませんから、営業のなんたるかなんて全然知らなかったのです。
だから恥ずかしいなんて感覚はなかった。
「会社を作ったんだから、お知らせしなくちゃ」ただそれだけです。
もちろん、人事担当者が簡単に会ってくれるわけはありません。受付で
「担当者は今忙しいので、、、」と言われても、それがお断りだとわからな
い。じゃあ、明日来ればいいんだと思って、翌日も出掛けていく。やっぱり
会ってくれないから、またその次の日も行く、という感じでした。』


第2次オイルショックでオーダー殺到(開業6年目44歳)
『まだ依頼が少ないときは、どんなオーダーであっても必死に答えようと
頑張ってきたのです。その積み重ねの中で信頼関係が生まれ、今の忙しさ
につながっている。電話が鳴り止まないなんて最高に幸せなことです。
それを簡単に断わるなんてとんでもない。でも、仕事が忙しくなると、
どうしても仕事が雑になってしまいます。私は自分がお得意先と電話で話
していても、隣で社員が依頼を断わっていたら、すぐに気がつきます。
もう、受話器を当てていないほうの耳はダンボです。自分の受話器を置く
わけにはいきませんから、持っているペンで社員の受話器をコツコツ叩く
んです。もちろん「断わってはいけません」というサインです。』


創業15年目100億突破(54歳)
『支店長は全て女性でした。これも当然のことで、創業から15年間は
二人の男性を除いて、社員全員が女性だったからです。支店長はみんな、
私と長く一緒に仕事をしてきた人たちだったので、事業所のトップとな
ってからは、リーダーとして私のやり方を真似してくれたんだと思いま
す。各支店は順調に売上を伸ばしていきました。大まかに言うと、女性
だけの組織で「従業員100人、年商100億円」まで到達しました。
経営者である私自身が驚くくらいの成長。女性のパワーって本当にすごい。
でも、女性だけでは限界があるのもまた事実です。売上高が100億円
を越えたあたりから成長が鈍化しました。派遣先の新規開拓が低迷して
いたのです。支店長の多くは守りに入っていました。支店を回って話を
聞いても「ニーズはすべてとらえています」という答えしか返ってきま
せん。
「でも、さらに売り上げを伸ばすためには、もう少し顧客開拓の努力が
必要ね」
「社長、そう言われても、私たちもう全部耕しちゃったんです。これ
以上どう頑張っても無理ですね」
そんなはずはない。私は直感的に気がついていました。』


さて篠原社長はこの危機に対してどんな手を打ったか、、、。驚くべき改革を断行したのです。これ以上引用すると版元から訴えられます。続きをお読みになりたい方は是非書店でお買い求め下さい。こちらです。
   http://www.asa21.com/tb2/sagasou_shigotono_yorokobiwo.html


ちなみに第2章以降の目次は

第2章 何があっても逃げたくない

働く母の姿に憧れた少女時代
明日から学校に行かない!
毎日が楽しかったOL生活
結婚、離婚
夢のヨーロッパ留学へ
寸暇を惜しんで勉強したイギリス時代
辛いのは自分だけじゃない
もっと英語を学びたい――再び海外へ
初めて目にした派遣スタッフ
起業してみてダメだったら結婚すればいい
「あら、できちゃった」で会社を設立
知らないからこそできた飛び込み営業
英会話教室で日々をしのいだ創業の頃
そのうちラーメンが食べられるようになるよ
ありがたかった300万円の融資
何があっても逃げたくない


第3章 男も必要、女も必要

一日も休まずに働いた五年間
大家さんになって左うちわで暮らしたい
ひっきりなしに鳴り続ける電話
オーダーは絶対に断らない
サービスレベルの低下を支店展開で回復
少数だから精鋭になれる
ある日を境に電話が鳴らなくなった
女性だけの組織の限界
ビジネスにおける男女の長所と短所
男も必要、女も必要
直感で判断する女性と論理を積み上げる男性
男性社員が突きつけた血判状
会社は小さく産んで大きく育てる


第4章 逆境が人を育てる

ピンチのときこそ基本に立ち返る
ダメなときはダメ、とにかくやるしかない
解決できない問題なんてない
1年分の給料を用意しています
トップになることでさらに成長してほしい
死ぬ気でやればなんだってできる
苦労は買ってでもしなさい
世の中の役に立ちたい
上場の理由は「会社を愛しているから」
今やらなきゃやるときはない
これからのテンプスタッフがやるべきこと
ライフスタイルに合わせて働き方を選ぶ時代に
働く女性のためにできることはまだまだある


第5章 探そう、仕事の、歓びを!

人生に悔いはない
成功の秘訣は「休まない」「遅れない」「前向きに」
誰かから必要とされるから人はがんばれる
相手は自分より正しいかもしれない
叱るときはサンドイッチの法則
営業同行で現場の生の声を吸収
大切なことはすべて現場にある
ストレスなんて永久にあるものではない
人と人とがつながるって本当にすごい!

                あとがき