Research of manpower supply business field.

他に類のない派遣業界幹部向けの会員制メールマガジンを発行し始めて4年になります。派遣業界に 関する話題を斬新独特の切り口で取り上げ、多くの派遣会社管理職の皆様に愛読いただいております。そのバックナンバーの一部を御覧下さい。

東田康之

派遣法施行から20年

今年は1986年(昭和61年)労働者派遣法が施行されてから20年目にあたります。

労働者派遣法の成立時にこの業界にいらっしゃった方はこの通信の読者には多分おられないと思いますので、この法律成立の重要性に解説を加えますと、この法律施行前は人材派遣業は当局「未公認」のアングラ事業であったのです。それまでの日本の労働法体系は雇用者-被雇用者の2者を前提としており、ここに派遣元が入る「三角関係」は想定しておらず、1966年に日本で始めてマンパワージャパンが派遣事業を開始して以降、一貫してこの事業に対して法的側面から疑義が呈されてきました。法律で禁じる搾取に当たらないかという疑問です。したがって日本の派遣業の創成期において派遣会社社長(その殆どが徒手空拳のニュービジネス創業者)は職安の指導がいつ来るかとビクビクして仕事をしていたといいます。テンプスタッフ篠原社長の回想ではこんな風です。

『創業して2,3年たった頃、「人を企業に派遣して、お金をもらっているのは違法ではないのか」との指摘を受けた。職業安定法によって、民間の人材派遣業は非合法とされていた。刑務所に入れられるかもしれない。不安が襲った。それからも何度か(職安から)呼び出しがかかり、そのたびに落ち込んだ。誰かに薦められたビジネスではない。欧米やオーストラリアでは、合法的なビジネスなのだ。日本でも、必ず人材派遣業が合法になるとの確信を持っていた。だが、1986年に「労働者派遣法」が成立するまでは、中途半端な、灰色のビジネスと見られていた。』

(篠原社長取材本 「逃げない人を、人は助ける」84ページ)

またこんな記事もあります。

『ただ、いくら社会の理解が進んだとはいえ、どこまでも「派遣」は禁句だった。地元の職業安定所からはうさん臭い目で見られ、時に呼び出しがかかった。「職安(公共職業安定所)ほど怖いものはなかった」と、当時まだマンパワー・ジャパン社にいた黒田などは述懐している。(註 人材派遣法施行前の「事務処理請負サービス事業」も、職業安定法第四十四条違反ではないか、という目でみられがちだった。A社などは民営職業紹介事業関係者から告発されたが、54年東京地検から不起訴処分になっている。)』

(平成8年発行 日本事務処理サービス協会設立10周年記念誌より抜粋)

上の記事の出典に出ております「日本事務処理サービス協会」は勿論現在の「日本人材派遣協会」の旧名称ですが、当時は「人材派遣」と言う言葉は協会名に使えなかったのでやむなく「事務処理サービス協会」にしたと聞きます。

こんな状況下では名のある大企業が新規事業として人材派遣会社を子会社で立ち上げることはコンプライアンス上危険でとてもできないことで、したがって現在の資本系派遣会社の設立は派遣法が施行されるまでは1社も無く、あっても請負業としての設立でした。資本系派遣会社の雨後の筍のような設立ラッシュは派遣法施行年の1986年に始まるのです。(資本系派遣会社の読者の皆様は自社の設立年を思い浮かべてください。)それまでの20年間は独立系派遣会社の天下で、現在派遣子会社を持つ大企業は当時自社で使う派遣スタッフはやむなく独立系派遣会社を使わざるを得ず、資本系派遣会社の歴史はこの独立系派遣ポストへの「ひっくり返し」営業の歴史であったと言って過言では無いでしょう。

ここからは言いにくい話ですが、一人親方の気楽さで敢えて申し上げると、このような社会的位置づけの派遣会社では、内部人材に大手企業が採用するレベルの人材(特に学歴。能力ではないので念の為)は門戸をたたかず、特に大企業志向の自称エリート男性は中途新卒を問わず応募に来なかったと聞きます。それに反して既存の権威常識にあまり拘泥せず、雇用機会均等法前の時代で大企業が採用しなかったやる気のある元気な女性はこの業界に仕事の面白さで身を投じました。派遣業界がいまでも女性で持っていて、女傑が多い伝統はここに発します(男傑は少ない)。

最近はこの業界も立派になってきまして、「早稲田慶応が受けに来た」と喜ぶ社長がいますが、その代わりに昔のような規格外の人材は少なくなり、小頭の切れるプチ秀才や社会貢献派が増えてしまって、この仕事の泥臭さに耐えられそうにもない応募者が増えたと言う嘆きも聞きます。世の中上手く行かないものです。もっとも昔タイプの人材が来たら来たで「筆記試験が当社基準レベルに達しない」と断っている会社もあると聞きますが、、。

閑話休題

この記念の年に当たり、毎日新聞朝刊月2回1ページ特集企画「主張提言 討論の広場」2月18日号で「『派遣労働』を考える」というテーマで3名の投稿が掲載されております。

  1. 信州大学名誉教授 高梨昌 当時派遣法制定時の学識者代表の一人
  2. 東京ユニオン執行委員長  関根秀一郎
  3. 大阪大学教授 小嶌典明  政府規制改革会議専門委員

高梨氏は製造派遣の行政指導の強化を、関根氏は更なる派遣法規制強化を、小嶌教授は逆に規制を緩和の方向で抜本的に見直せと主張されています。この記事を小嶌教授のご好意で編集提供いただきましたので添付します。

ご一読でご理解のように、1の高梨さんはともかく、2の関根氏と3の小嶌教授の主張は真っ向からぶつかります。アンチ派遣派と規制自由化派の対立と言え、この対立関係は今に限らず、いやもっと強い対立が派遣法施行前からありました。派遣法がたった13職種での認可でスタートし、以降1999年の原則自由化まで13年にわたり too late too small のペースで緩和が続いた淵源はこの対立にあるのです。組合は派遣会社の天敵でした。

この辺の事情を述べると長くなりますので残りは次号といたします。この通信の読者の殆どは老いも(失礼)若きも業界経験10年未満、大半が5年未満と思いますので、たまには業界歴史を紐解くのもよかろうと思いまして昔話をいたしました。続きは次週。